谷千鶴(CLUB KARMA)
遊んでる人っていうのは、年を重ねようが若かろうがキャッチ能力っていうのがあると思う
大阪の中心地。それは間違いなく心斎橋でも難波でも天王寺でもなく梅田である。つまり"ミナミ"ではなく"キタ"のはずなのである。しかし現在"クラブ"というカテゴリーで考えると中心地はミナミであることは誰もが頷けるであろう。ではキタに今以上にクラブの数が必要か?と聞かれると素直に頷けない人が少なくないのも事実であろう。つまりそれはキタにカーマとヌーンいうクラブがあるからなのかも知れない。 今回のmy biographyはそのキタの、そして大阪のクラブカルチャーを育て続けたカーマのオーナーである谷千鶴さんに音楽との出会いからの話を聞いてきました。若者は一見無縁とも思える"北新地"という場所で長きにわたり良質なイベントを輩出し続けるクラブカーマ。そのカーマが現在の位置にたどり着くまでの紆余曲折や人との出会い等をじっくり聞いてきました。
★今日はクラブカーマのオーナーである谷千鶴さんにお話を聞きに来ました。よろしくお願いします。
谷千鶴(以下T):お願いします。
★ではまず音楽との出会いから教えてもらえますか?
T:私は中学の2年、3年、高校の1年と2年に、親に夏休みに1ヶ月半から2ヶ月ほどサマースクールというのでハワイに行かされてて、そこで音楽を覚えました。その頃って今と違って自由にたくさんのお金を持っていける頃じゃないから、わずかなお金しか持たずにね。遊ぶことって言ったらもう波乗りしかなくて。だから必然的に朝起きたときから音楽がかかってて。その頃はウエストコーストとは言わないんだろうけど、単なるハワイアンであってり、ロックであったり。そういう感じの音楽をずっと聴いてて。
★そうなんですね。
T:今は仕事上、私はクラブのエントランスでID見せてもらって、っていう理不尽なことをやってるんだけど、自分は今で言うクラブ、その前で言うディスコ、その前だったらゴーゴークラブであったり、そういうところに高校1年くらいから行ってて常に音楽がかかってるところで遊んでました。学校の帰りには今で言うカフェ、その頃の喫茶店ね。喫茶店ではジャズがかかってる所でお茶を飲んでて。"喫茶店でジャズ"って言うとすごく健全なんだけど、そこには個性的な子が集まってきてるから、そんな関係で自分の遊んでるロケーションのそばには常に音楽があったっていう感じかな。
★じゃあきっかけとして特に大きかったのはサマースクールで海外に行った、っていうところですか?
T:そうね。そこでいろいろ得たからね。後は私はすごく友達に恵まれてて、友達から影響を受けることもいっぱいありました。自分たちが中学とか高校の時はみんな個性的だったから、先輩がすごく大切にしてくれたのね。それはおしゃれであったり、音楽であったり、いろんな面で年上の人たちに可愛がられて。高校2年くらいには週末には東京に遊びに行ったりもしてたし。そうやって上の人たちに大切にされたし、された分自分も面白い素材って言うか、目立つ子がいたら普通に声をかけるし、その子から何かを学びたいし。そういうことが歴史的に身に付いてるから。
★じゃあ若い頃の恩返しをしてる感じなんですね。
T:恩返しって言うとおこがましいけど、面白いことをしてる子って本能的にみんなそういうものを持ってると思うのね。自分が面白い存在であったら、面白い存在の人は自分のことをキャッチするし。だから恩返しっていうじゃないけど、何でも何か光るものを持ってる人たちはどこかで寄り添うような、そういうところがあると思うのね。例えば今から5〜6年前とか10年前、昔は遊んでて今は遊んでないような人を含めて、遊んでる人っていうのは、年を重ねようが若かろうがキャッチ能力っていうのがあると思うし。でも今大阪にはそういう引率する良い大人が少ないような気がします。
★そうですか(笑)
T:うん。私は15、16くらいから遊び始めて、いろんなカテゴリーの中で遊んできたと思うけど、ずっとその中に音楽はあったと思うのね。波乗りやったり車のレースを遊びでやったり、本当にいろんなことをやってきたけど、自分の恵まれてるところはひとつのカテゴリーやジャンルの友達だけではない、っていうところ。
★なるほど。
T:たとえば東通りのお店では私たちのグループが遊びに行ったら目立つし、変わってるし、今で言うエントランス料なんて払ったことは無いし、逆にドリンクをプレゼントされたり。帰り際に小遣いまでもらうのもしょっちゅうだったし(笑)。だから私たちが行くことでお店に花があったと思うのね。今はぜんぜん花もないけど昔はね(笑)。まあそういう個性的な子がいっぱいいてたのよ。今はたまたまそういう子がカーマに来てないだけなのかもしれないけど、すごく少ないような気がする。みんな一緒みたいな感じするじゃない。
★そうですね。では一度話を戻して、そんな感じで個性的な仲間といろんなところに遊びに行くような学生時代を経て、卒業後はどうなさったんですか?就職されたんですか?
T:ん〜と、就職っていうのは私はしたことがなくて、その点欠陥人間のところが多少はあるのかもしれないけど(笑)、いきなり自分で喫茶店をやり始めて。たまたま女の子だけでやったからそれがすごくあたって。ビジネスってすごくおもしろいんだな、って思って。それからずっと自分で何かの形でビジネスをやってる、っていう感じですね。
★その喫茶店をやり始めたっていうのは、おいくつのころですか?
T:それは19くらいの時かな?大阪で。そこはすごい売り上げで、私たちは朝まで遊んでフラフラで。お店は終わってるのにみんな遊んでるからフラフラになりながらコーヒー入れたりしてた(笑)。
★(笑)でも卒業して自分たちでお店をやろう、なんて普通は思わないですよね?何かきっかけがあったんですか?もともと夢があったとか。
T:いや、そんなのは全然無かったのよ。たまたまみんなの意見と金銭的なこととかがあったりで。みんなでいろいろ意見を出し合って。だから辞めた時もみんながもう辞めたいから、っていう感じで何のトラブルもなく辞めましたよ。
★やっぱり音楽が盛んに流れてる感じだったんですか?
T:そのときはあんまり音楽にはこだわらなかった。周りの環境もあって。会社もたくさんあったし。その時も変わった友達は集まってきてたんだけど。あとは東京でレストランをやったり。
★それも若い頃からですか?
T:うん。
★じゃあ若い頃は飲食がやりたかったんですか?
T:う〜ん、そうでもなかったんだけどね。まあ旅行をたくさんしてて、日本の中にも良い物はたくさんあるんだけど、若い頃ってどうしても外のものに目を向けてしまうから。外のものがやっぱり刺激的だし、そこには音楽もあればファッションもあるし、ファッションがあれば風土もあるし。そこで繋がった、っていうことだけだと思います。もちろん食文化にも興味があるし、アートにも興味があるし。全部繋がってると思うんです。
★いろんなところに旅に出てたんですね。
T:うん。若い頃はやっぱり波があるところ。今でこそバリっていうのはダイレクトにいけるけど、私たちのころは香港に行って香港からトランジットでデンパサールに行って、ってすごい時間かけて行ってました。バリには本当に何度も行きました。
★では音楽だけじゃなくて、それに関連する全てに好きにアクセスしながら遊んでた、っていう感じですね。
T:そうね。一緒に遊んでる友達、例えば女の子なら近い男の子、男の人なら付き合う女の子にも影響されるし。例えば恋人がヒップホップ好きだったら自分が興味なくても興味を持つようになるし。私は波乗りやってたから旅行はどうしても波のあるところ。国によっては音楽の質も違うし。その頃はウエストコースト系の音楽が流行ってて。大人になっていくと音楽もハウスになっていったり。ハウスならやっぱりニューヨークの方に遊びに行くし。
★なるほど。そんな感じで海外に遊びに行ったり、波乗りをしたり、喫茶店をやったりしながら、その後は・・・
T:その後は結婚をしたので、子供が成長するまでは少し大人しくしてましたね(笑)。でもそれでも自分なりに旅行なんかは1年に2回くらいはしてましたけどね。結婚して子供と一緒だと、やっぱりルールの中での遊びしか出来なかったから。ある程度子供が中学に入ってからまた行動を開始した感じですね。子供が小さい頃は塾の送り迎えとお弁当を作らないといけなかったんで(笑)。
★普通のお母さんですね(笑)。
T:そうそう。でも中学に入ったらもう子供の人生じゃない?クラブカーマの前にエリアガイジンっていうお店をしたのね。それからかな。人生ってうまくなってるな、って思うのが、今のカーマの近くに永楽ビルがあって、永楽ビルの下に85坪くらいで空きがあって、そこにうまい事お店が出来たのね。でも音楽とかアートの面と、経営っていう面ではずれが出てたのでエリアガイジンで人に助けられながら、遊びながら、結局自分の好きなことをすれば上手くいくと感じて。そのエリアガイジンの2年半で勉強すると共に蓄積が出来上がってカーマが出来た感じ。
後編に続く。
