dawa(SYFT RECORDS/BOUNDLESS)

大阪は心斎橋アメリカ村の主に輸入盤アナログ/CDを扱うMUSIC SHOP SYFT RECORDSロックバイヤーで、BOUNDLESS RECORDSと言うインディーズレーベルを主宰。三十路突破 で焦り中。彼女募集中。
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SYFT RECORDS
オールジャンルで世界中の様々な音楽、ムーブメントをお届けする音楽のセレクトショップ。 レーベル運営、イベント主宰、各フェスティバルへの出店等など、協賛とか、もろもろのしがらみが多い音楽業界。大型店では出来ないような事などを小回りを生かして様々な面白い事が出来ればと、日々営業中。 毎週更新、試聴を充実させたHPも是非チェックしてみてください。
〒542-0086
大阪市中央区西心斎橋2-18-18
トポロ51ビル3F
BOUNDLESS
SYFT内で、僕運営のインディーズレーベル。レーベルカラーとかは、そのまんま僕の趣味反映。いわゆるなんでもあり。自分のアンテナに引っかかったもの、好きになったアーティストに対して交渉して 日本盤リリースを行っています。弱小なんでやりたいこと全てが出来るわけではないし、声をかけてもまとまらない交渉の方が多いですがボチボチやってます。応援よろしくお願いします。
俺はロッキンオンを知る術が無かった(笑)
主に関西の音楽関係者に、音楽に出会った時から現在に至るまでの経緯をじっくり聞いていくこのコーナー。第1回目はsyft recordsのバイヤー、そしてDAWA名義でDJ活動もなさっている和田さんです。今回はその幼少時代から現在のsyft recordsで働くまでの経緯を聞く前編です。
★今日はsyft recordsのロック担当のバイヤーで・・・あとレーベルもなさってるんですよね?
ワダ(以下W):レーベルのディレクターって言うか、インディーズの全てを一人でやってます。
★はい、そんな和田さんに、現在に至る経緯みたいなモノを遡って聞いていきたいと思います。じゃあまず音楽との出会いみたいな所から聞かせてもらえます か?
W:出会い・・・小学生くらいの時にジャッキーチェンの映画から入って。その辺のサントラを探し始めて。
★小学校でジャッキーのサントラですか。レアな入り方ですね(笑)
W:うん。その後そのまま洋画に入ってそのテーマ曲。当時で言うなら・・・『フラッシュダンス』とか、『トップガン』とか。こういう所も俺は邦楽より先に洋楽に入った。その頃回りはやっぱりおニャン子。おニャン子と同時に俺はそういうのも聞いてた。おニャン子の特典をもらうためにレコードを予約して た。で、洋楽はその頃はレンタルレコード屋っていうのがあったから、そこで借りてた。今考えると、その時に36チャンで『ソニーミュジックTV』ってい うクリップ垂れ流しの番組があって、それをずっと見てた。
★じゃあ周りの友達とかと比べても洋楽に入るのは早かったんですね?
W:そうそう。小学校は洋楽で、中学に入ってすぐに周りにメタル好きなやつが結構いたからその影響を受けて聴き始めた。その時の同級生が今宇頭巻やって たり。
★へー。
W:もうその後はメタルにどっぷり。中2でスキッドロウのコンサートに行ったり。あとはボンジョビとかホワイトスネイクとか。ガンズが出てきて、って時 代かな。ピュアロックっていう番組を見て勉強した。知ってる?
★知らないです。それは普通に民放でやってたんですか?
W:そうそう。民放でやってたよ。ヤングギターの編集長がぬいぐるみと喋る、っていう番組(笑)。
★ハードロックとかを扱ってたんですか?
W:そうそう。それを夜中にやってて。当時のハードロックとかってすごく売れてたはずやから。需要があるし。ほとんどのバンドが大阪城の公演を出来るく らいやから。
★それが80年代後半くらいですか?
W:うん、85〜86年くらいが全盛で90年に俺が高校くらいやから。
★じゃあその頃はハードロック一辺倒だったんですね?
W:ハードロックを聴きつつ、バンドをやろう、軽音をやろう、と。学祭ではジュンスカとかブルーハーツとかジギーとかをやってた。俺は技術は無いし、あと、英語っていう壁とかもあって。学祭じゃなくて自分では色々聴いてた。俺は技術が全然追いつかなかったから、周りにはメタルとかで上手い人もいたけ ど、俺はそこにはついていけず・・・。
★ギターはいつから始めたんですか?
W:ギターは高1かな。高1で始めて高2くらいから辞める25くらいまで全く上達してない(笑)
★(笑)
W:最初の1年くらいでやりきった感があったから(笑)
★じゃあ高校の時は学祭用に日本のロックをやってて、聴いてたのはハードロック的なモノはまだ聴いてたんですか?
W:うん。全然聴いてた。その時にブルーハーツとかは聴いてたけど、それと平行して・・・『バーン』を読んでた。
★あー、マストアイテムですね。
W:うん。あれの90点以上は全部買ってた(笑)
★(笑)でも和田さんが高校の頃にはハードロックに対抗してオルタナは出てきますよね。
W:あー、出てきた。ニルバーナは高2の時に高3の先輩がニルバーナをコピーしてて。その存在は知ってたけど、それもバーン経由であって。だからアリス インチェインズとかサウンドガーデンとかもバーンには載ってたから。知ったのはそっちから。
★で、そういう音楽を聴きながら、ギターもやりながら。
W:まあその後高校の時に漠然やけど、「音楽をやりたい」って思ってて。それで専門学校に行きました。そこのクリエイターコースって言って一番何でも有 りのコースに行って。何でもちょっとずつ噛む、っていうコース。
★それは音楽系ですか?
W:そうそう。そのちょっとずつ噛むっていうのが中途半端で(笑)。まあ3年を無駄にしたかな、って(笑)
★(笑)
W:コンピューターミュージック検定とか取ってたりしたけど全く今使えないし(笑)
★主にこんなのをやってた、っていうのは無いんですか?
W:PAやね。あとは音楽理論を習ったり。とにかく何でもちょっとずつ習えるようになってたから。結局自分達で企画して何かやったらオッケーみたいな所 なんやけど、すごい・・・ゆるい所で(笑)。ほんまに無駄やったなーって。
★(笑)
W:例えば学校の企画でミュージカルをやります、ってなったらチーム組んで、パンフレット製作チームやったら広告を取って、当日は機材搬入をやったり。 ジュンスカを呼んでやったり。AAA(アクトアゲインストエイズ)のスタッフをやったり。それ自体は楽しかったけどね。現場の分からん所とかを知れた し。でも結局時給の出ない派遣会社(笑)。そういう派遣のバイトもやってたけど、それがただ学校名義になっただけかな(笑)
★高校の時に漠然とは言え「ミュージシャンになれたら」っていう思いはあったんですよね?でも学校はそういう系だったんですね。
W:うん、演奏は別に習わんでも出来るやん?そこにお金を払うんやったらそれ以外の知識に、っていう。親を説得して出世払いで学費もらって。それで音楽 理論とか習ったんやけど途中で「別にいらんかな」って(笑)。テンションコードとか習っても、当時好きな音楽がグランジとかやったから関係無いやん?ス ケールとか習っても・・・なぁ?
★そういうのと関係無いスタンスがグランジですもんね。
W:そうそう。理論とかじゃなくてもっと簡単に曲作って、それが一番かっこよく聴こえてた時期やから。
★で、専門学校でそういうことを習いながらバンドもやってたんですよね。
W:はい、バンドをやってましたね。その辺はあなたもよくご存知だと思いますけど(笑) (インタビュワーは一時期和田氏と同じバンドに在籍)
★ハハハハ!!そうですね。あ、もう僕出てくるんですか?
W:あ、もうちょっとまだかな。
★その頃はグランジとかメタルとかのバンドを続けてたんですか?
W:あ、その頃は日本のその辺の音楽が盛り上がってきたやん?
★あ〜、ハイスタとか。
W:そうそう。何にせよグリーンデイとかオフスプリングとかが出てきた頃で。93年とかその辺。別にその時もチャート音楽はチェックしてて、その頃はイギリスのチャートっていうのは情報として全然入ってこなかったから。その頃とかめっちゃヒップホップとかもあさってるし。Gファンクとか。スヌープとか。その辺をめっちゃ掘り下げてて。
★それはチャートに乗ってたからですか?
W:そう。その時にすごく広がった。雑誌も呼んだし。ロッキンオンとか。ミュージックライフとか。同時にバーンとメタルギアとかも呼んでて。そこにメロコアって言うのが出てきたのと、イギリスでオアシスとかが出てきたのとすごく重なってて。それまで“ローゼス”はもう“ガンズ”しか知らんし(笑)。だからマンチェの盛り上がりは全然知らん。
★情報が入ってこなかった、っていうことは日本の若者達はみんな知らないってことですか?
W:どうなんやろ。情報を仕入れる媒体にもよるけど、一般的な媒体ってあるやん?そこでは・・・つまり何もしなくても入ってくる所には無かったと思う。
★僕のイメージではあの頃のロッキンオンってイギリスをフォーカスしてたんじゃないかな、って。
W:俺はロッキンオンを知る術が無かった(笑)
★(笑)今程メジャー誌じゃなかったんですね。
W:それか俺が興味が無かったんやろうな。それとさっきも言った当時36チャンでやってたソニーミュージックTVっていう4時間くらいPVを垂れ流しの 番組があって、その時にあんまりUKロックは流れてなかったような気がするんやけど。マドンナとかマイケルジャクソンみたいなダンス物と、何か知らんけどナパームデスの特集とかもやってたし(笑)。そのテレビで一番びっくりしたのはレイジのビデオかな。
★あー。91年くらいですね。
W:うん、ビースティーのサボタージュとそのレイジは「何やこれ!!」っていうのはすごい覚えてる。急に幅が広がったね。話がずれた気がするけど(笑) 大丈夫?
★大丈夫です(笑)で、バンドも続けてたんですよね?
W:うん。その頃にやりたかったのはうるさくてポップな音楽。理想としてたのはオールマイティーっていうバンドがあったんやけど。
★ジ・オールマイティーですよね?僕ライブ見たことありますよ。
W:あ、そう(笑)あとはワイルドハーツとか。何かちゃんとガッツリ音は出ててそれでいてポップっていう。その影響でメロコアが好きになったと思うんやんか。
★なるほど。専門は3年ですよね。やりきったんですか?
W:卒業しましたよ。でもその時にいた学生の95%は就職出来てへんと思うんやけど(笑)。全然関係無い仕事とか。中にはソニーとか行ってるやつもいるけどね。その時の同級生とか今の現場で会ったりするよ。
★じゃあその後はバイトをしながら音楽をやり始めたんですか?
W:うん、引っ越し屋。もちろん音楽と関係無し(笑)。
★(笑)
W:引っ越し屋をやって、その後、ちょっと年代があいまいやけど大型CD店にバイトで行ってた。掛け持ちで。
★それはどうせバイトするなら音楽関係で、と。
W:そうそう。
★そこのバイトでは何をやってたんですか?
W:それは普通のバイト。レジとか。仕入れとかには一切関わらず。あとはちょっとポップ書いたり。コメント書いたり。バイヤーが仕入れたものの補助をやってた。
★なるほど。でもその辺から今の仕事につながり始めてますね。
W:そうそう。そこのバイトから色々つながって、つながって。
★じゃあそこのバイトは楽しかったですか?
W:うん。バイトながらに社員にブツブツ言って。「あれ仕入れろ、これ仕入れろ」とか。自分のコーナーみたいなのも作ったし。結局大型店ってバイヤーで も自分のやりたいことを出来るわけじゃないから。あんまり知識も無いし。本来Jポップ好きな子が洋楽やらされてたり。元々俺は洋楽とか好きやったから社員にも色々聞かれるし。「じゃああれを取ろう」とか。パンク系とかミクスチャーとか日本のインディーとかは全部自分でやってた。
★その頃って日本のインディーズがまさに爆発してる頃ですよね?
W:そうそう。バッドレリジョン見に行ったらスプレッドが出てたり。グリーンデイ見に行ったらハイスタが出てたり。そういうバンドとかその頃日本のそう いうバンドの存在を全然知らん、って言うかそれまで無かったと思うねん。そういうのに結構ショックを受けて。それ以降日本のそういうバンドも結構聴くようになって。まだ安くライブにいける時期やったし。
★それと同時並行でバンドも続けてたんですよね?
W:うん。ちょうどその盛り上がりの1〜2年くらい。やってましたねー。一緒に。
★やってましたねー。
W:まあ色々アクシデントがあって分解した感じやったけど(笑)
★(爆笑)まああれは僕が高校2年くらいなんで97年くらいですね。もう8年くらい前ですね。
W:そうやで。今こんな感じで巡り会わすとはな(笑)
★はい(笑)。で、そのバンドが分解したのが99年くらいで。そこでバンドは辞めたんですか?
W:そうやな〜。あの後はやってないなー。
★大型CD店でバイトしてた時ですよね。
W:そうそう。まあそのバイトを続けてて、俺は長男やし実家が自営業やから最悪逃げ道があるやん?何をやってても最終的にはそこに着くかな、って思ってたから。フラフラしてた感じかな。
★ギターを弾かなくなった時はある程度“あきらめ”っていう感じやったんですか?
W:う〜ん、何やろう。そんな感じなんかな。自然と。サンプリングとかに興味を持ち始めて、「いつかやろう、いつかやろう」って思ってて今もまだ出来て ない。機材も揃えよう、って思ってるんやけどまだ。ドラムマシーンくらいは持ってるけど。創作活動はその時からやってないかな。
★何となくやってない、っていうだけな感じですか?
W:そうそう。機会があれば今でもやりたい。ライブに行く度に思うし、何か聴く度に思う。今はちょっと忙しくて。
★で、そのままCD店でバイトしながら、そろそろシフトレコードにたどり着く感じですか?
W:そうやな。その頃にインターネットにはまり出して、バンドの情報サイトみたいなのが結構あって、そこにスプレッドっていうバンドのマネージャーなる人物がいてて、それが今のシフトの社長の藤井なんやけど、その人と何か「一度みんなで会おう」っていうことになって。それまでも行くライブもかぶってた し、俺はCD店にいたからそこにも来てたし、店に来て「初めまして」みたいなこともあったし、ライブに行ったらいるし。よく会ってた。
★じゃあ藤井さんとは元々知り合いなわけじゃないんですね。
W:そうそう。なんて言うか・・・パーツ、パーツでは知り合いもいたんやけど、こことここは繋がってない、みたいな共通の知り合いがいっぱいいて。そういう仲間で一度飲みに行こう、ってなって。そこにいろんな人がいたんかな。例えばステイルフィッシュグラブのメンバーとか京都のウーピーの店長やってる 山田っていう人間だったり。その時に色々繋がった感じ。その中の一人が藤井であって。
★その頃藤井さんはもうシフトやってたんですか?
W:シフトをやり始めた頃かな。元々藤井はタイムボムの店長で当時スプレッドの1枚目を出して、っていう頃かな。一番勢いに乗ってたし、新しい動きも起こしてた人やし。スプレッドのマネージャーっていうことで、こっちからしたら「ああ、すごい人なんかな」って。それで知り合って。でもその時はまだ知り合っただけかな。そこから1〜2年は経つんちゃうかな。
★あ、その時は別にすぐ手伝って、っていうんじゃなくて。
W:うん。そのCD屋に客としててずっと来てて。シフトはやってたけど、メジャーのディストリビュートの取り扱いが無いから、でも藤井本人はそういうのが結構好きやからそういうCDを買いに来たりしてて。それがしばらく続いて。
★じゃあそうやってちょっとずつ繋がりながらバイトはずっとしてた、と。
W:うん、そのCD屋で。
★で、何をきっかけにシフトに入ったんですか?
W:シフトが今のマンハッタンの前の小さいビルにあったんやけど、そこが移転する、っていう話になって。もっと規模を大きくする、っていう時に話をも らって。前のシフトはインディーの細かい部分を突いてたけど、大きくするから一般層の知識がある人が必要や、っていうことで、俺がそういうことやってた ことを知ってたから。それまでも連絡は取り合ってて、「何が好きなん?」とか言う話をしてたから。当時彼はスプレッドのマネージャーをしてて例えばブラ フマンとスプレッドがやる、ってなった時、ブラフマンのチケットとかその時俺らは中々取られへんから。チケットを取ってもらったりしてた。
寄り道を繰り返しながらもやっとsyft recordsまでたどり着きました。次回はそのsyft recordsでの仕事の話、レーベル運営の苦悩、そして仕事に治する意気込み等を聞く後編。乞うご期待!!後編はコチラ!