DJ KRUSH×沖野修也(KYOTO JAZZ MASSIVE)

DJ KRUSH
1962年東京生、プロデューサー / DJ。87年にKRUSH POSSEを結成。日本を代表する実力派ヒップホップ・チームとして活躍。92年に解散した後はソロ活動を精力的に行い、日本で初めてターンテーブルを楽器として操るDJとして注目を浴びる。94年に1stアルバム『KRUSH』をリリース。その後も日本、ヨーロッパ、アメリカを中心に世界各地で多数の作品を発表。いずれも国内外のさまざまなチャートの上位にランク・インし、6thアルバム『漸-ZEN-』では、アメリカのAFIMアワードにおいて特に芸術性の高い作品に贈られる"ベスト・エレクトロニカ・アルバム2002"最優秀賞を獲得。04年、サウンドトラックを手掛けた写真家、荒木経惟を綴ったドキュメンタリー映画「ARAKIMENTARI」は米各地の映画際で話題を呼び、ブルックリン国際映画祭では観客賞を受賞。8枚目となる最新アルバム『寂-JAKU-』
は、CMJ(全米カレッジラジオ)のRPMチャートで3週連続1位を獲得するなど各方面から高い評価が寄せられている。また、98年 春にはDJ HIDE、DJ SAKを率いてプロデューサー・ユニット<流-RYU->を結成し、斬新な活動を展開する他、00年末からは"表現"を通してさまざまな問題提起を行うプロジェクト
http://www.mmjp.or.jp/sus/krush/

沖野修也(KYOTO JAZZ MASSIVE)
90年代初頭に実弟・沖野好洋とともにDJユニット"KYOTO JAZZ MASSIVE"を結成。以来、10年以上に渡り日本のジャズ/クロスオーバー・シーンを支え、同時に海外進出も成功させてきた先駆者の一人。94年にはファースト・プロダクションとなるコンピレーション『KYOTO JAZZ MASSIVE / V.A』をリリース。その後、00年にはドイツのCOMPOST RECORDSと契約し、ファースト・シングル『ECLIPSE / SILENT MESSENGER』をリリース。02年にファースト・アルバム 『SPIRIT OF THE SUN』を全世界リリースし、世界レベルで高い評価を受ける。03年には自身のレーベルQUALITY! RECORDSを立ち上げ、JAZZANOVAやDA LATA, COMPOST RECORDS 等の良質な作品をリリース。DJとしても国内での活動はもちろん、イギリス、ドイツ、イタリア、スペイン、フランス、アメリカ等を始めとした世界各国で定期的に広範囲に渡るツアーを敢行し高い評価を得ている。音楽ライターとしても数多くの書籍、CDで執筆中。フリーペーパーQUALITY! MAGAZINE (現在休刊中)を創刊し、世界10ヶ国25都市の無料配布で注目を集める。渋谷のクラブ「THE ROOM」オーナーでもある。
http://www.kyotojazzmassive.com/
http://www.theroom.jp/

DJ KRUSH
『寂-JAKU-』
(Sony Music)
発売中 3,059円

DJ KRUSH
『寂-JAKU-』
(Sony Music)
発売中 3,059円

『RE KJM』
(QUALITY! RECORDS)
発売中 2,625円

KYOTO JAZZ MASSIVE
『BY KJM』
(QUALITY! RECORDS / MCJP INC.)
発売中 2,310円

『FOR KJM』
(QUALITY! RECORDS)
発売中 2,625円
クラブ・ミュージックは浸透したけど、深くなった部分と薄まった部分の両極端になったかなって」(沖野修也)

DJクラッシュと沖野修也。ヒップホップとジャズ、カテゴライズされるフィールドは違えど、同じ"クラブ"というシーンで、同じ"世界"という場で、10年以上に渡り立ち回ってきたこの二人が、去る7/8(金)にアメ村・トライアングルに揃った。日本に"クラブ"というカルチャーが上陸したときに、それをちゃんとした形で根付かせたのは彼らであり、日本から世界に発信していったのも彼らだった。いや、"だった"という過去形は当てはまらない、今もなお、このパイオニアは遥か前方で輝きを放ち、僕らを先導してくれている。こんなアニキが前にいるからこそ、若人は心置きなく、もっと暴れなくちゃならん。彼らもきっとそれを待っているはずだ。そう、この対談を読んで、その志気を高めよう。昂らせよう。
-87年にクラッシュ・ポッセを結成し、活動を開始したDJクラッシュさん、90年代初頭にキョウト・ジャズ・マッシヴ(以下KJM)を結成し、活動を開始した沖野修也さんのお二人は、すでに10数年のキャリアですが
沖野修也(以下O)そんなふうに言われるんですね(笑)。
DJクラッシュ(以下K)ホントね。過去を振り返ると結構がっくりするね(笑)。こんな歩いてきちゃった、って。
-(笑)、日本のクラブ・シーンがスタートした時点からそのシーンの最前線に身を置き、同時に世界規模での活動をしてきたお二人にお聞きしたいのですが、現在の日本のクラブ・シーンはどう感じますか?
K 沖野君はROOMをやってたりするから、リアルタイムで感じてるんじゃないかな。オレは定期的にやってる店ないから。沖野君のほうが詳しいんじゃない?
O あのね、クラッシュさん、僕の店ね、今すごい好調なんですよ。オープンしてから一番流行ってるくらい。いっぱいクラブが無くなってたり、大バコで外タレが来たときにだけ遊びにいく人が多いなか僕のところは結構盛況で。他の店はわからないですけど、うちの店に関してはすごい良くて。お客さんも音楽のこと本当に好きだし。
K あそこはホントに音が好きな人が集まる感じがするもんね。店員もあんま壁がなくて、みんな一緒、みたいな雰囲気あるし。店にコタツ置いてみんなで、みたいなノリに近い。そんなにデカくはないから安心しちゃうんだよね。
O 流れとしては、大バコに外タレが来たときだけ(クラブに)行って平日はちょっと難しい、ってういうのはあるかな。昔はクラブに行くこと自体がかっこいいっていう時代やったけど、今はみんなクラブに行くし、そのなかで自分は何に行きたいのか選んでるというか。でも個人的な実感としてはクラブ・ミュージックは浸透したけど、すごい深くなった部分とすっごい薄まった部分の両極端になったかなって。
-その深まった部分の人がROOMに来てるということですよね?
O だし、クラッシュさんがやってることはもちろん深いことやし。で、どことは言わへんし誰とは言わんけど、これってクラブ・ミュージックかな?ってのもあるし。
-クラブでやってるだけで。
O クラブでやってるけど、それって…って。いつも思うのは、何人入ったとか、何枚売れたとか、そういうのは歌謡曲とかそっちの人が競い合ってくれたらいいだけで。僕らは"かっこいい"とか"新しい"とかで競い合ってたのに、いつの間にか何人入ったとか、何枚売れたとかっていうのを話す人が出てきて二極化したと。で、そっちの人がクラブって名乗るのってどうかなって。それは別に批判とかじゃなくて現状。刹那的にワーッて盛り上がりたい人はそっちに行くし、好きな音楽をとことん追求したい人はこっちに来るし。良く言えば選択肢が広がって、悪く言えば両極端になったと。
-そういうのはクラッシュさんも実感したりしますか?
K あんまり外に出ずに結構家に篭っちゃうほうだから。東京に住んでんのに、東京にクラブが何軒あってとか全然わからない(笑)。でも、後輩なんかからそういう話は聞くね。ついてきてくれる人がいる傍ら、そういう薄っぺらい、その時間だけ、みたいな人も増えたって。長いスタンスで見れてないというか。
-お二人とも頻繁に海外にDJで行かれていますか、海外と日本のシーンの違いはありますか?
O ちょっと脱線していい?僕、前に、クラッシュさんが回ったあとに一週間くらい遅れて同じ都市を回ると、クラッシュさんの話で持ち切りで。僕も結構(海外に)行ってるほうですけど、ホントに海外で通用してるのは、DJクラッシュとトミイエ・サトシだけ。これ、書いていいよ。
-トミイエさんもやっぱりそうなんですね。
O トミイエさんはヨーロッパね。DJクラッシュは、ヨーロッパでもアメリカでもオーストラリアでもどこに行っても。みんなプロフィールに海外でやった、とか書くけど、それ、誰でも行ってるから、今やそんなにスペシャルじゃない。日本から来たDJでホントに支持されのはこの二人だけ。
K 日本だと我々が向こう行ってどういう状態でどういう感じで受け止められて認められてるかって、そういう細かいところまで伝わってないから。オレらもいちいち言ってないし。
O クラブ・ミュージックって、ニューヨークとかヨーロッパからDJが来た、逆に日本のDJがニューヨークとかヨーロッパに行く、そんなん普通なんですよ。でも日本のクラブ・シーンは、日本だけで完結してて。もうちょっとみんながボンボン外に出ていったほうがいい。
-そういうふうに世界に目を向けるようになったきっかけって何ですか?
K オレはもう最初っから、クラッシュ・ポッセやってる頃から、日本で勝負すればするほど、本気でやればやる程、自分がダメになっていくと思ったし、好きな音楽できないと思ったの。その頃のレコード会社の連中って、ヒップホップとか全然理解してなかったし、判断するのがネクタイした事務的なオジサンで、そのオジサンがヒップホップ聴いたところでわからない、そんなとこでやってたから。それでもう海外に出ていった。海外はそういうのはなくて、扉は広がってたし、イギリスで最初に火ついたんだけど、アメリカと違ってイギリスは特に間口広いから。そんなふうにいろんなタイミングがいい形で重なって。日本でずっとやろうと思ってなかったし、どうせ夢見んならデッカイ夢見たいし。純粋に一人でも多くの人たちに自分の音を聴いてもらいたいって。日本で生まれて、安い機材使って、その音がどこまで世界に通用するかってすごい興味あるじゃない。だからもう、目標はそこですよ。日本捨てたわけじゃないし、最終的には戻ってこようって思ってたけど、暴れるだけ暴れてやろうって。今だって日本でもクラブ・シーンがあるんだし、いい才能はいると思うんですよ。ただそういうコたちってまだ若いから、そこまで考えてない。オレらは生活に追われてたから、今日食うメシもないぐらいの状態でDJやってたから。上を見るじゃないですか。成り上がりじゃないけど、その感覚がすごい強かった。
O 昔はね、大変でしたよね。
K 昔の話あんまりしたくないけど、現実だから。そういう追われてたものがあったからオレは海外に惹かれた。
-沖野さんはどうですか?
O 僕ね、出身が京都じゃないですか。京都の人、プライド高いんですよ。東京に対する対抗心というか。でも京都にいる人が「東京なんぼのもんやねん」とみんな言うんですけど、じゃあ、オマエら何かやってんのかっていう。みんな口ばっかり。こんなこと言ったら京都の人に怒られるけど。僕はそれを証明するために東京で勝負すべきだと思って(東京に)移りましたけどね。それに自分の音楽やったら海外でも通用するっていうのを証明したかったし。それこそね、古くはYMOとかカシオペアとかやってたわけで、むしろその後がいなかったことが、
K 不思議だよね。
-お二人ともDJで日本全国を回られていますが、地域によって雰囲気は違ったりしますか?特に関西のシーンについてはどう感じますか?
K オレの場合は、今日、新幹線で着いて、これから回して、朝方までやって、酒飲んで寝て、昼過ぎに新幹線なんだよね。じっくり感じられる前に移動しちゃうから、大阪がどうとか今は言えない。一ヶ月くらい住んでみないと。
-クラブでプレイするぶんに関してはどこも変わりないですか?
K そのときの客によってだし、
O あのね、ハコにもよるんですよね。大阪でもヌーンとグランカフェとトライアングルは違うと思う。もちろん大阪の特性もあるでしょうけど、ハコのクセもある。トライアングル初めてなんで、今日はどうしたものかなーって。出たとこ勝負。
-お客さんのノリは土地によっては変わらないもんですか?
K そういう部分での意識はあんまりしたことないし、ここはこういう土地だからこうしようとか、感じたことはないね。ここ最近は特に。
O 日本よりも海外のことで精一杯。日本って日本人でしょ。基本的に単一民族だけど、海外に行くといろんな人種がミックスされてるし、例えばロスとニューヨークで全然違うしさ。だって、ロスとニューヨークの距離の差って日本だとありえない差でしょ。海外の国の差のほうが大きいから。
K それはあるかもしれない(笑)。
O だって、東南アジアと東欧は違うし、オーストラリアとアメリカは違うし。

K そういう大きな差は逆に日本人だからわかるから。国内に関しては多少の差はあるけど、誤差にすぎない。もしノリが悪かったら、あっ、オレが悪いんだなって、アゲらんなかったんだなって思うだけで。かける曲はどこにいっても変わんないから。
-そうなんですね。
O だって一ヶ月とか旅に出てたら、レコード替えられへんもん。
K 今でこそ(レコードの枚数は)少ないけど、海外に初めて行ったときは150枚入りのレコードを2つもっていったりね(笑)。客に合わせて変えられるようにしてたけどね。
-今は?
K もう大体セット決めていっちゃう。多少変えられるように逃げを作って。
O ジャズやったら、ジャイルス(・ピーターソン)とかパトリック(・フォージ)、ジャザノバ、ライナー(・トゥルービー)、KJM、4ヒーローとかいるけど、インストゥルメンタルのヒップホップは、DJクラッシュの前には無いから。DJクラッシュがオリジネイターやから。クラッシュさんが何を提案するかをみんなチェックしにきてるっていうのもあるし。ジャズの場合は、一応ジャイルスを頂点に、なんとなくヒエラルキーがあって、そこでどうやって差別化を計っていくかがあるけど、別にジャイルスより劣ってるとかそういう話じゃなくて。モワックス盤の前に、ラップがないヒップホップはなかったわけで。
K 何年前だ?モワックス出たの?
-94、5年のはずなんで(註:実際はモワックスからは94年、国内盤が95年)、10年以上前ですね。
K その頃からインストがくるとか言ってたからね。モワックスから「KEMURI」(註:94年発売、DJシャドウとのスプリット盤「LOST & FOUND / KEMURI」のこと)出したときにね、ロンドンで初めて回したんだけど、一番前のみんなが数珠ぶら下げて祈んのよ(笑)。
O ハハハハハ(笑)。
K ぶっとい数珠で。シャドウも当時言ったけど、あの当時のあの曲ってオカシイんだよ、どう考えても。ヒップホップじゃないって言われたし、でもそれを喜んでくれるやつもいて。だけど日本人で変な音出してるってだけで珍しがられて、流行りだけでとっつかれて、終わっちゃうのかなって一瞬思ったのね。それも悔しいじゃない。だから逆にこのままのスタイルで突き進まないとダメだと思ってやってきたけど。続けていくと段々自分のスキルも上がってくるし、海外に行けばいくほど、いろんなDJも見るし、とんでもないやつ山ほどいるからね。世に出てないだけで、原石が。そんなかで揉まれてくると、どんどん強くなってくるし。何か起きてもいろんな経験してるから別にビックリしなくなってくるし。でも、こんなに長い間DJやってられると思ってなかったから。
O オーストラリアで僕をケアしてくれてる男の子が「一番尊敬するミュージシャンはDJクラッシュ」って。何でかって言ったら、"ヒップホップ"マイナス"ラップ"、これって発明やし、ただラップを抜いたんじゃなくてクラッシュさんはそれで成立させたから。ずっとその事実は変わらへんから。僕なんかの場合は、他のジャズのDJと違って、ハウスとジャズを合体させたり、そういうセールス・ポイントみたいなんもあるけど、これから出てくるジャズの人は難しいんちゃうかな。ヒップホップもそうやろし。あとは日本語のラップで勝負するとか、限られてくる。
K 技術的、ハード的な面は進んできてるし、レコード屋行けばほとんど何でも手に入っちゃうし、すごい便利な時代になったけど、逆に何か足んないくらいのほうが自分から進んで向かっていけるのかな。ものすごくいい状況なのか悪い状況なのかわからないけど、心配だよね。情報も山程あって、ダメなくらいあって、機材もちょっと金貯めりゃ買えるじゃん、中古探せゃ安いし。レコードも海外より全然いっぱいあるし。そんなすごい状況なのになんでもっと(新しい才能が)出てこないのかなーって。物理的にはいい時代なのに。自分にしかない感性が世界にどこまで通用するのかって夢を持っていけばいいのに。
05年現在の日本のクラブ・シーンのこと、海外へ目を向けるようになったきっかけ、を軸に話を聞いてきた前半。9/9にUPされる後半では、メディアへの思い、二人のDJセット / ライブセットのこと、今後の日本のクラブ・シーンへの提言、を中心に聞いています。
「ホントに地に足がついて、根付いてるカルチャーっていうのをもうちょっとメディアは正確に取り上げてもいいんじゃないかなって」「全部オリジナル。最終的にそれが一番やりたかったの」「自分の耳でさ、好きか嫌いかを判断してほしい」「そこの判断はさ、やっぱ自分の定規使いたいよね。大切なことじゃない?」「ファッションと衣類ってわかれてるじゃないですか。音楽も、わけてほしいねんな」「オリジナルとフェイクを見極めてほしい」「それを引っさげて仕事にしてメシを食っていくっていうのは並大抵じゃないし」
などなど、前半の淡々とした空気とはうってかわり、ラストへ進むにつれてそのテンションが一気に上りつめてさまを、その言葉のグルーヴに引き込まれて、身に染みてください。