こだま和文

こだま和文
トランペッター。 82年、それ以降の音楽シーンに多大な影響を与えることになる日本初のダブ・バンドMUTE BEATを結成。作曲、演奏のみならず、アートワークも手掛ける。90年にMUTE BEATを脱退後はソロ活動を展開、盟友・屋敷豪太とのユニットKODAMA & GOTAを経て、99年以降は自身の活動をDUB STATIONと名付け、ターンテーブルをバックにしたサウンドシステム・スタイルでの演奏を行う。また、フィッシュマンズ、チエコ・ビューティー、ロッキンタイム等のプロデュース、梶間俊一監督「集団左遷」、鈴木清順監督「殺しの烙印 ピストルオペラ」のサウンド・トラックなどその活動は多岐に渡る。05年7月、約10年ぶりのバンド音源『IN THE STUDIO』のリリースを機に、フジロック・フェスティバル(レッド・マーキー・ファイナル・ステージ)、フェスタ・デ・ラマ(広島)など、スペシャルなステージにアルバム同様、謎のロッカーズ・サウンドを轟かせている。
LIVE INFORMATION
12/22 @Shangri-La

KODAMA AND THE DUB STATION BAND
『IN THE STUDIO』
(DELPHONIC RECORDINGS)
発売中 2,730円
それぞれひとりひとりなんだよ。"I & I"って言うんだけど。
-最初にレゲエを聴いたのって、いつくらいですか?
K 70年代の終わり頃かな。サード・ワールドとかスカタライツとか聴いてたんだけど。今聴いてもすげえよ。大体ジャマイカの人って、年齢も不祥なんだよな。リー・ペリー然り。みんな寿命がそう長くないから、早くに亡くなってっちゃうけど。
あのさ、ジャマイカのミュージシャンって、年齢とかさ、その人がどこの大学出てるとかさ、一切関係ないだろ。やってる音だけ。(日本も)早くそういうことになってほしい。アルファ・ボーイズ・スクールっていう孤児院にはさ、ブラスバンドみたいなのがあって、お金がなくてもそこで楽器借りられるから音楽できるぞってことでみんなアルファ・ボーイズ行ったわけだよ。そんな人たちがスカタライツだからね。むしろアルファ・ボーイズで音楽勉強しましたってことを誇りにしてるところさえあるもんね。
-同じ奏者として、スカタライツの上手さっていうのは感じますか?
K いや、あれは技術の音楽じゃないからね。あれはね、もうちょっと超越したものなんだよ。ボサノヴァだってそうだし、カリビアンとかラテンの音楽は強烈なんだよ。上手い下手って言い出した段階でもう駄目。その話は終わりなの。つまらない話になっていく。上手いとか下手とか、比べようもないものなんだよ。ものすごいオリジナルで作っちゃったから。基を作った人は上手いも下手もないだろ?オリジネイターだからさ。これが大事なの。だけど残念ながら日本はずっとアメリカの真似したり欧米の真似してきたから、そこと比べて必ず優劣をつけちゃうんだよ。そういうことじゃないんだよ。
-そうですよね。オリジナルを模倣するって段階で始めて上手い下手が生まれてくるんですもんね。
K そうだよ。だけどジャズは、やれバークレー行きましたとか、偉いジャズの先生に師事しましたとか、クラシックと同じことやっちゃった。そりゃダメになっていくに決まってるよなあ。でもルイ・アームストロングは1930年代のニューオリンズ・ジャズの出始めの頃にさ、オリジナルなことをやってたわけよ。でもサッチモ(註:ルイ・アームストロングの愛称)も少年院だからね、だけどなぜか我々の国はさ、音楽イコール「どこで勉強したんですか」とか、「あの人上手いですよね」とかさ。何を基準にしてるんだろうって。だからどんどん本質がなくなっていってるんだよ。夏暑いのに背広着て会社に行くっていう、あれ、本質がどこにもないだろ?大体あれ、経済効率ってことで成り立ってるんだよ。誰かが吸い取って儲けてるんだよ。本質を無視した決まりごとっていうは、良く調べてみるとね、そこに繋がっていくんだよ。だからレゲエとかさ、大事なんだよ。本質しかないから。つまりボロボロのTシャツ着てようが、破れた靴履いてようが、人格には関係ないわけだよ。当たり前のことなんだけど、それを訴えていきたいんだよ、オレは。手足長くてかっこいいって、あれ誰が決めたんだ。そこには障害者っていうのが一切入ってないだろ。世の中のそういう優劣っていうのを決める決まりごとがあるじゃない、あそこに障害者が入ってないんだよ。そもそもそれが一番の差別だろ。障害者が出てくると、かっこ悪いもかっこいいも話にならないわけじゃん、それはそこに本質があるからだよ。 それぞれひとりひとりなんだよ。"I & I"って言うんだけど。かっこいいもかっこ悪いも、綺麗も綺麗じゃないも無いっていう。それをオレはレゲエだと思ってる。そりゃ目一杯かっこもつけるけど、それは自分の好みをさ、自由に出してるだけの話で。本質はもっとデカいところにあるんだよな。
-では、こだまさんは2005年現在の日本のレゲエ・シーンをどう見ていますか?

K 一括りに見てないよ、オレは。それぞれだから。だけど、しっかりやってほしいな。ブラック・ミュージックから学んで自分達は作らせてもらってるわけだから。責任はあるんよ。あんまつまらんことしちゃ申し訳ねえなって思うから。
-そのブラック・ミュージックなりカリビアン・ミュージックなりをリスペクトしつつ、ジャパニーズのオリジナルを作っていこうっていうことですよね?
K そうだよ。"自分のもの"が作れたときにジャマイカの人たちとちゃんと話ができるかなってとこはあるよね。オリジナルなものを出してないと、つまらんよ。あと、括られるのもよくないと思う。「あっ、この人たちレゲエの人たち」、「この人、スカの人たち」、「これはヒップホップの人たち」、「これはなんかJポップな人たち」みたいなさ。ツルむとね、周りから括られるんだよ。それをしたくないんだ、オレは。できるだけ括られることなく縛られることなく、個人個人が自分をやってほしいなって。それだけだ、大事なことは。
-それが"フリー"でいることの手段でもあるわけですね。
K 日本っていうのは残念ながら島国の中でさ、村社会で来てるだろ?だからすぐ括られるし、例えばレゲエのライブ会場ではちょっとレゲエっぽい格好してたほうが収まり良いっていうのとかあるだろ?でもジャマイカのミュージシャンはね、こっちがどんな服装であろうが、そういうことを間に挟んで人を見ないんだよ。日本だけなんだよ。こういう場所にはこういう雰囲気で、とか。あれつまらんね。オレが付き合ってきた海外のミュージシャンはそういうの一切ないんだよ。ランキン・タクシーは、まだ日本で誰もやってないときにディージェイとかサウンド・システムをやりだしたんだけどさ、あのときランキンは工務店か設計会社かなんかのサラリーマンでよ、背広姿でディージェイしに来てたからね。ジャマイカ人ってすごいオシャレだったりもするんだけど、それはさっきも言ったように本人の好みの問題で、本質にはあんまり関係ないんだよ。自分がやってる音楽を聴かせようってことしかないからね。そのためにちょっとキザな格好したりもするけどさ。最近、オレのライブ、ダブ・ステーションでDJとやってるときなんか、かなりフリーだよ。この前も大阪ヌーンでやったときね、何か言いたくて我慢できないようなヤツに「何か言いたいことあんのか?」って聞いたら、そいつがステージに登ってきて、マイク持たせたらラップやりだしたりとかね。そのときは客がブーイングしたね。「おまえダメだよ」って。それも良しだし。人に明らかに迷惑なことも本質のなかで解決されていくわけだから。去年に京都メトロでやったときには、たまたまスカパラの谷中が遊びに来てたのよ。で、頼んでもいないのに、ステージに途中上がってきてさ、なんかMCやってんだよ。そういうライブになりつつある。そういう自由度数をね、もっと上げてもらいたいなって。 もうちょっと気ままに自由にやってもらいたいよ。自由に好みを出してほしい。それをやってこなさすぎたんじゃない、日本って国は。自己主張ってことも含めて。小学校から好みを主張できんようにしてるだろ。制服とか髪型、髪の毛1cm長いとかさ、女の子のリボンの色とかも決められて、あれ、今の北朝鮮とさして変わらないようなことをさ、未だにやってきてるんだよ。それで個性も何もないだろ。オレもさ、鏡見て顔デケエなーって思うんだよ(笑)。
-(笑)
K 別にいいじゃねえかって。足も具合悪くてちょっと歩き方もおかしかったりするんだけど、別にいいだろ。美男美女とか、一体どこからそうなったんだろうなって思うんだよなあ。そういうのは無くなってもらいたいんだけど、無理な話だよなあ。こんなこと言ってるから、あんま人気出ないよ(笑)。
-(笑)
K 音楽もね、あんまり縛られずにさ。これがレゲエだ!とかこれがスカだ!とかなったらそこで窮屈になってっちゃうよ。死んだジャズみたいになってっちゃう。だけど矛盾してるけど、あのカリビアンの人たちが作ったオリジナルのリズムっていうものの絶対的なすごさみたいなのはやっぱり踏襲しないとっていうのはあるんだよ。あとね、もう少し不良になったほうがいいと思うんだよなあ。オレの憧れなんだよ。もうちょっと不良でいればよかったなっていう後悔のしっぱなし。あのときになんであそこで言うこと聞いてしまったんかなあとかさ。なんで中学のときね、授業中につまんねえなあって思ったら、ふらあっと廊下に出ちゃったりとかさ、「ちょっと校庭行ってきまーす」みたいな、そのくらいの自由があっても良いと思うんだ。この国は特にそうなんだけど、自分で自分の首を締めてる度数が高いね。さっきも言った根拠のない決まりごとのために、我慢してじーっとしてなきゃなんない。それを打ち破るのがレゲエだったりスカだったりするんだよ。それぞれの気持ちで踊ったり、遊んだりしてほしいんだよ。ズボンや靴下が擦り切れてても、洗濯したてなんかは気持ちいいわけで。不衛生だとちょっとね、物理的に問題あるから、そこは本質に関わるけど。でも表面的な、アイロンかけてあるからキチっとしてるっていうような決まりごとがあるだろ。よろしくないんだよ。あれ、本質的にどう違うのかって。小学校で未だに起立、礼、とかやってるけど、あれも意味ないね。勉強するっていう気持ちを持つことが大事なんであって。話聞くにも整列とかさ、あれ並べなくたっていいだろ?会社も9時から17時までって時間が決まってて、9時に行って中身無くても17時に退社すればいいって、おかしいだろ。満員電車だって、もっとみんなまばらに時間ずらしたらいいわけだし、土日の休みっていうのも、お盆だ正月だってのも、みんなが一斉に休むから遊園地もどこも大変なことになるんだよ。そういう、決まりごとみたいななかで見失ってる本質がいっぱいあるじゃない。「もうちょっとだらっと、ルーズでもいいんじゃないの?」っていうのがスカとかレゲエなんだよ。それくらいのことだよ、オレが音楽でやりたいのは。なにもすごいクリエイティブなことをやってやろうとかじゃなくて。
-先程、先のことは計画せず、約束せず、にやっていきたいとおっしゃっていたのですが、今後、こういうこともやっていきたいっていうことはありますか?
K いっぱいあるよ。あるけど、口には出さんな。やるときがきたらやるし。あとなんかね、オレらは今、すごい情報量のなかを生きてて、その量は20年前とは全然違うんだよ。そうすると、ある種のセオリーとか手順とか決まりごとみたいなものを、みんな良く知ってるんだ。そうするとさ、例えばCD出しましたデビューしました、次は何やるんですか、次は何ですか、次は何ですかって、どっかで何かレールを敷いてねえか。100人の次はお客さん500人を目指します、こうしてこうしてこうやってわー盛り上がりました、ドームやりました、武道館でやりました、みたいなさ、そういうことがもううんざりなんだな。で、それでなんなんだ?って。その先どうなんだ?って。意味ないだろ? 次は何かとかさ、そんなのわかんねえよ。だらっとすりゃいいんだよ、だらっと。暑いしな(註:インタビューを行ったのは8月5日だった)。よく言うじゃない、スカからロック・ステディになったのはさ、「あっついなーゆるくいこうや」みたいなところからだって。オレね、いっつもそれがよぎるんだよ。確かにそうだなーって。5分や10分別にな、遅刻してもいいじゃないかと思っちゃう。ジャマイカで「明日22時に」とか約束するじゃない。来やしないんだよ。あれは、本質的に持ってるタイム感が違うんだよ。それも遅刻してもいいっていう薄っぺらな話じゃないんだよな。もっと大きい根っこの部分。決まりごとからちょっとはみだしたことで、一体、本質にどう影響があるんだ?ってことを言いたいんだよ。
今夏にリリースされたばかりのジャパニーズ・レゲエ・シーンのオリジネイターを追ったドキュメンタリーDVD『Melodious Riddim』に、こだま和文は中心人物として出演していた。インタビューされていたり、ライブ映像が収録されていたりするんだけど、あるライブ映像で、こだまは「何がルーツかわからない…。今日の今をルーツとしよう」と話してた。この言葉には、心が震えた。この日、こだま和文と話して、"I & I"という精神は諦めではなく肯定なんだということに気付くことができたのは大きかった。