DJ HIDE

DJ HIDE
国内外においてジャンルや形式に囚われないボーダレスな活動を行っているDJ/プロデューサー。ヒップホップ、ロック、テクノ、ダブ、民族音楽など多種多様な要素を取り入れたサウンド・プロダクション、そしてオリジナリティー溢れるDJプレイが高く評価されている。
2000年にドイツのSpectrum Worksよりリリースされたデビュー12インチ「DJ HIDE」は発売から数日でソールド・アウト。2004年11月には待望のファースト・アルバム『SCULPTOR』をJAG
Labelよりリリースし、その活動の場を海外にも広げている。2005年にはDJ KRUSHと共にヨーロッパ・ツアーも敢行。
ライヴではソロのDJプレイの他 GAMBLE、DEEP COUNTといったバンドや津軽三味線の木乃下真一、こだま和文など生楽器とのコラボレートも数多く行っており、プロダクションにおいてはラッパー以外にAngelinaなどシンガーのプロデュースも手掛けている。ソロ以外ではKEMURI
PRODUCTIONS、流-RYU-など日本屈指のDJ集団にも参加しており、2000年からは"表現"を通して様々な問題提起を行なう未来型アーティスト集団<JAG>の中心メンバーとしても精力的に活動している。
DJ HIDE
http://www.sus81.com/djhide/
KEMURI PRODUCTION
http://www.kemuri.jp/

SCULPTOR/DJ HIDE
(JAG Project)
JAGCD-001
¥2,500(税込)
今でもあの初期衝動はあります。ビートだったりむず痒い所とか
ところでそこの君、日本最強のDJ集団、と称されるKEMURI PRODUCTIONをご存知か?今や伝説のイベント“鬼だまり”。DJ KRUSHを始め、日本を代表するDJたちが一度に集い、10台ものターンテーブルを一度操った奇跡の夜から早くも10年。いまなお彼らは第一線で輝きを放ち続けている。
今回は現在KEMURI PRODUCTIONを支える4人のプレーヤーの中からDJ HIDE、DJ YAS、の2人のインタビューを2週に分けて掲載。まずはDJ HIDEのヒップホップとの出会いから今後の展望までを紐解いてみよう。
―ヒップホップとの出会いを教えてもらえますか。
DJ HIDE(以下H) 最初は兄貴がランDMCとか聞いててそれを聞かせてもらったのが最初かな。
―その時の衝撃はやっぱりすごかったですか?
H やっぱりね、「ウォーク・ディス・ウェイ」がね。あの曲がすごかった。
―ではそこからヒップホップにのめり込んでいった、と。
H いや、そうでもなくて、その後また聞く機会があまりなくて。いろんなものを聞いてたんだけど。で、地元にDJヤス君がいて。中学校が一緒なんですよ。
―本当に地元ですね(笑)。
H そうなんですよ(笑)。ヤス君の兄貴がいて、僕は何回かしか会ったことないんですけど、彼がハウスのDJをやってて。ヤス君の家はすごかったんです。兄貴がハウスをかけてて、弟のヤス君がヒップホップをかけてて。部屋の中が爆音でハウスとヒップホップが一緒に聴こえてくる、みたいな。そういう所だったんです。
―それはすごいですね。
H で、僕はちょこちょこヤス君の家に遊びに行ってたんです。いや、行ってるっていうより、毎日通ってた(笑)。ヤス君の家で飯とか食ったり。だけどその時は見てるだけで、ヤス君は一生懸命練習してて。2枚使いとか。
―ではその頃からヤスさんはDJとして練習してたんですね。
H うん。ヤス君は早かったですね。懐かしいな〜、思い出しちゃった(笑)。
―(笑)ではヤスさんの家に行ってハウスを聞いたりヒップホップを聴いたりしてたんですね。
H そうです。すぐにやってみようかな、っていう気持ちになってターンテーブルを買って。買ったのが18歳くらいですかね。
―その時にはもうヒップホップに入ってたんですか?
H そうですね。ちょうど90年代ですね。ニュースクールの時にちょうど入っていった。
―ヤスさんの家に行けばハウスもかかってたわけですよね?その中でヒップホップに入っていったには何か理由があるんですか?その時に感じたヒップホップの魅力とか。
H それは今でももちろんありますよね。何だろう・・・すごくむず痒い所をね・・・何か。そういうのがあるんですよ。何だろうね。
―むず痒い所をくすぐってくるんですね。僕がヒデさんのトラックを聴いてて思うのは、そのむず痒さって、ビートなんじゃないかなって思います。ヒデさんのトラックの中で特に特徴的なのはビートだと思うんです。
H 確かにビートですよね、本当に。シンプルだけど。今でもあの初期衝動はあります。ビートだったりむず痒い所とか。
―もちろん最初ってリスナーだったわけですよね?今はDJをやったりトラックを作ったりしてて、ヒップホップに対する見方は変わりましたか?
H 変わったと言えば変わったし、変わらない所は変わらないし。どっちなんでしょうね。何なんだろう。さっき言った“むず痒い”感じも色々あるでしょ?1回のライブであったり、1曲の中でもむず痒い所がたくさんあって、そういうのは好きですね。
―ヒデさんのビートって歪(いびつ)なものが多いですよね?ストレートなものよりむず痒さの生んだものなのかも知れないですね。
H そうなのかな・・・自分じゃ分かんないっすね(笑)。
―ではトラックを作ってる時にコンセプトは無いんですか?
H ファーストに関しては2年前のモノとかも入ってて、とりあえず普段からたくさんストックしてたから。
―ではそれまでの集大成的なものがあのファーストだった、ということですね。
H そうですね。そこにはそれなりのコンセプトはあるんだけど。まだ大きくですけどね。
―ではファーストアルバムの話に行きたいですが、「SCULPTOR(=彫刻家)」というすごく印象的なタイトルが付いてますが、音楽と彫刻で何か共振するものを感じたんですか?それともヒデさんが音楽を作る作業の上で彫刻家と似た部分があったりするんですか?
H アルバムを初めて作ってみたんだけど、作り終えてから考えて、その作っていく過程が切り刻んでいく感じだったんで。いろんな角度から。
―なるほど。いろんな角度から切り刻む・・・確かにそうですね。
H 今思うとすごくシャープですよね。
―トラックを作る時とDJをする時は同じように“切り刻む”という感覚ですか?それとも違うものですか?
H いろんな視点を持つようにはしてますけどね。まあフラフラっと流れてる感じで。
―自分の位置をまだ明確には決めたくない、という感じですか?
H そうですね。まあ何も考えてないですけどね(笑)。
―(笑)ではメッセージ有りきでトラックを作ってるわけではなくて、自然に出てきたものを音で表現してる、という感じですか?
H そうですね。まあ日常でいろんなことを体験したり経験したりするじゃないですか。そういうものが刻々と変化していったり。そういう自分が何か聴いたりして、そういうものを自然に出す感じです。特にDJプレイに関してはそういう感じです。アルバムに関しては、次はちゃんとコンセプトを持ったものを作りたいな、とは思ってるんですけど。「こういうことに対して自分はこう思ってる」っていうのを表現したり。ファーストは結構それまで作り貯めたものを発表した感じが強かったから。寄せ集め、って言うか・・・寄せ集めっていう言い方もどうかと思うけど(笑)。
―あのファーストアルバムは“ジャグ・プロジェクト”というヒデさんも中心メンバーの1人であるプロジェクトと連携したレーベルからのリリースだったわけですが、そのプロジェクトを始めた時の目的や意図は何かあったんですか?
H 新宿のリキッドで5年くらい前にイベントをやったのが最初かな。レーベルとしては、今、チャリティ・アルバムを作ってます。コンピレーションなんですけど、アフリカの元・少年兵や母子感染でAIDSに感染する子供達の為の自立支援アルバムなんです。
―なるほど。そういったチャリティーであったり、基金的なものを当初から目的に始めたんですか?
H そうですね。その最初のリキッドの時にアフガニスタンに現地の写真を撮りに行ったカメラマンの個展とのコラボレーションがあったり、あとこの間 実際自分もウガンダへ行って現地で活動してるNGOの人に会う機会があって、元・少年兵の自立支援をやってる人なんだけど、その人に色々と話を聞くことができたんですね。すごく衝撃受けましたよ。難民キャンプの中での話とか。
―そういうものに対して音楽で力になることができれば、という思いがあったんですね。何をきっかけにそういうことを思い始めたんですか?
H 僕自身はこれまでアフリカの色んな国の話を見たり聞いたりしてる中での事なんだけど、ウガンダに行って実際にそういう実情を見た時は流石に凄くショックを受けました。
―それに対して自分がやってる音楽で何かできないか、と。
H 更にその思いが強まった感じですね。
―では今後もジャグ・プロジェクトは続いていくんですか?
H 続けていきたいですね。同じ志を持った人たちとね。