STEVE ETO

バンド歴は伝説の爆風銃、PINK、PUGS等。生きながらの伝説デミセミクエーバー、でっち上げの二枚舌は継続中。関わった人々はそれこそ数えきれず、デビュー時の小泉今日子から、布袋寅泰、COMPLEX、吉川晃司、Blankey
Jet City〜シャーベット、三波春夫、武田真治、藤井フミヤ、及川光博、大黒摩季、続く続く…。Club系においてはEMMA、SUGIURUMN、DJ
DragonのBLACK JAXX等とのコラボ。自作映像とともに演じるソロ・パフォーマンスもウリ。お盆の忍者ナイト@京都メトロは恒例行事。N.Y.と奄美大島でのライヴも毎年必ず←両地につながり無いですけど。http://www.dog01.net/
(携帯もOK)
2006年3〜5月にかけては堂本剛のソロ・プロジェクト 「ENDLICHERI ☆ENDLICHERI」に参加中=club活動はちょっとお休み
どうも、はじめまして。打楽器奏者のスティーヴ エトウと申します。MISAさんからのご紹介/年に何回もイベント等でご一緒させていただいており嬉しいかぎりなんですが、なぜかパーティの終焉の記憶がどれもこれも無いんですよねえ〜〜。楽しく酔い過ぎ。。。さて、私のルーツは箏曲家である我が父にありまして、その師はお箏の大家:宮城道雄=コントでも使われる「春の海」の作曲者。日本でも十二分に成功していたのに、なぜか米国で十年以上活動することになって、その間に私と和太鼓奏者である弟のLeonardが生まれたのですが、当然、華々しい父の舞台姿が音楽の事はじめ。眩しすぎて同じ音楽を職業としようなんていう気はまるでありませんでした。
KIMIO ETO『KOTO MUSIC』
カーネギーホール(映画ブエナ・ビスタS.C.の舞台ですね)で日本人2番目の公演、武道館で初めて音楽公演=ビートルズの前年。こんな経歴の持ち主が親だったら、そりゃあ同じ土俵に上がるの嫌でしょう、普通。。。
補足:一般イメージと違い、父のノリは洋楽です。実際ジャズとのコラボもあったりして。誰かリミックスとか...やれ! 自分...って感じですかね。
SANTANA『SANTANA III』
さて、そんな私の中学時代。音楽に興味無い私の周りは第一期フォークブーム。吉田拓郎さんの時代です。皆がギター弾き語っていたんです。その中で間が持たず困っていた私が知ったのはSANTANA=ラテンロック。パーカッションという分野があるらしい=ドラマーみたいに両手足使わないらしい=練習要らないのかも!? これが楽器を始めるきっかけ。
MILES DAVIS『AGHARTA』
とりあえず楽器は手にしたんですが演奏のチャンスは高校に入ってもない。皆がやってるのはロックですからパーカッション不要ですわ。そんなある夜、FMからとんでもない音楽が。もう魑魅魍魎沸騰しているような、わけわからんのだけど凄まじいライヴが。マイルス・デイヴィス@大阪ライヴ。ラジオからカセットに録音して、まぢ擦り切れました。
KISS『ALIVE!』
このままの筋で音楽にのめり込んでいったらまた別の音楽人生だったかも知れませんが、根がPOPなもんで次の衝撃:一生モノの衝撃がコレです。ヒットするように創られた曲、ディズニー並に完全に演出されたエンタメショーは今でも基本。勢いのみで突っ走るパンクとかには反応しませんでしたねえ。
注:前項の混沌音楽もマイルスが完全に制御してたわけで…。
チェッカーズ『GO』
で、物凄く中略しちゃいまして、結果プロ打楽器奏者になっちゃうんですが、衝撃っていつでも受けちゃいますね/いつでも衝撃受けられる柔軟性が大事とも言えますけど、チェッカーズです。この辺の経緯は書ききれないのでご興味ありましたら我がHPにて。中期以降のライヴはマニアックとPOPを見事に調和させた理想型=いまだに目標。
NY写真 w/イヌ
想い出のレコードが並びましたけど、日常では音楽を聴くことからはむしろ疎遠で、映画、お芝居、アートとかに眼も頭も行っちゃってますね。そこはもう書ききれない&絞れないので、ほなまた。あと6歳までNYに居たんですが、その頃の(今とは違う)素敵にデカいアメリカを体験したのは根っこに大影響してるかも。良く言えば大らか/悪く言えば大雑把。